サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジ遊覧飛行の旅
エピローグ


 サンノゼの空は私にとっていつかは飛ばなければならない所でした。

 今から8年ほど前のこと、会社の研修旅行で米国テキサス州のダラスへ行った帰りに、一日だけ サンフランシスコに立ち寄って観光したことが有りました。その時はもう二度とここへ来るチャンスは 無いだろうと思い、先輩と二人で集団行動を抜け出して思いきりサンフランシスコの町を楽しみました。 ところがそれから3年後にサンノゼに転勤となり、サンフランシスコへは嫌でも行かなければならない事もありました。 また、単身赴任時代の週末には暇つぶしにサンフランシスコへ出て、「あの時あんなに焦って見て回る事なかったな」 などと思いつつ、ユニオンストリートやノースビーチのバーで一人酒を飲んだ事もありました。

 しかしサンノゼに転勤した当時は英語もろくにしゃべれず(今でも苦労してますが)、飛行機の事など 考えも及ばないとてもつらい日々の連続でした。テレビの日本語放送でパイロットスクールのCMを見かけたり、 ミニコミ誌に飛行機の免許取得の宣伝が載っていましたが、とにかく仕事が出来るようにならないといけないので、 とても飛行機どころでは有りませんでした。そしてあっという間に2年の月日が流れ、サンディエゴへ転勤となりました。

 サンノゼからサンディエゴへ転勤して早2年半、飛行機の免許を取って1年半、総飛行時間も250時間を超え、 長距離クロスカントリーにも慣れてきました。そろそろ行く時期かなと思い計画を立てたのですが、 例の9月11日のテロで中止せざるを得なくなり一旦諦めました。その後VFRは再開しましたが、 昨今の世間の状況からすると、ちょっとやめといた方が良いのではという所でしたが、 息子がサンノゼに引っ越した親友に会いたいと言うし、自分もいつまで米国にいられるか分からないのだから 出来るうちに出来る事をやってしまおう、と言うことでサンノゼまで飛ぶ事を決意したのです。

 案ずるより産むが易し。飛んでみたら何の事は無い、以前と同様に飛ぶことが出来ました。むしろトラフィック が少なくて、LAセンターやSoCAlアプローチがとても話しやすく親切でした。きっと暇なのでしょう。 そして無事宿泊地であるサンノゼまで飛ぶことが出来ました。帰りもとんでもないサンダーストームに見舞われ、 モンゴメリーフィールドへの帰還は絶望的と思っていたにもかかわらず、管制官の親切なサポートのお陰で無事帰り着くことが出来ました。 おそらくテロの影響でトラフィックが少なかったのでキメの細かい管制が出来たのではないかと勝手に想像しています。

 サンノゼの空は私にとっていつかは飛ばなければならない所でした。SJCの滑走路を離陸して、目の前にシリコンバレー の景色が広がり、地図通りにフリーウェイが見え、眼下に以前自分が住んでいたエリアが見えました。 初めて外国で仕事や暮らしを体験したサンノゼの町。私だけでなく、子供も慣れない英語での勉強に毎日涙を流したサンノゼの町。 その上空を自分の操縦する飛行機で飛んだ時、全てが報われた気がしました。

Sunday March 10, 2002

Airman


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