古代文明遺跡探訪
2001年12月1日

 メキシコ南東部、メキシコ湾とカリブ海を分ける様に突き出たユカタン半島には、古代マヤ文明の遺跡が多く残っています。 中でも一番大規模と言われるチチェンイツアーの遺跡に行ってきました。カンクンから西へ亜熱帯の森の中を地平線まで真っ直ぐ 続くハイウェイをバスで走る事約2時間半、マヤ特有の階段状のピラミッドと球技場と天文台と天然の井戸を備えた巨大遺跡群に 到着しました。

 北米の古代文明は南米のインカ同様に、エジプト等の4大文明に比べて研究が遅れており、まだまだ解明されていない謎が 沢山有るそうです。私は去年テオティワカンのピラミッドとメキシコシティーの博物館へ行きましたが、ガイド無しに見て 回ったので、マヤ、トルテカ、アステカがどう違うのか全く理解出来ていませんでした。今回はカンクン在住5年になる 安藤さんという日本人のガイドについてもらい丁寧な説明を受け初めて各文明の関係が理解できました。

 年代的にはマヤが一番古くその次がトルテカ、そしてアステカとなりアステカはスペインに滅ぼされ植民地時代を経て現在の メキシコになります。アステカはMexicaとも書かれ、スペインから独立する際メキシコの語源となりました。マヤの人々は 文字によって記録を残す事にとても執着した民族だったそうで、また、数学や天文学に長けていて、数値のゼロの観念は歴史上 古代インドで発見されたとされていますが、マヤ文明ではそれよりも千年以上前にすでにゼロを使っていたとの事です。 それに対してメキシコシティーのある中央高原周辺に興ったトルテカ文明の人たちは好戦的でいつも戦ばかりしていたそうです。

 チチェンイツアーには古いマヤ時代の遺跡と新しいマヤ時代の遺跡が混在しており、古い時代の遺跡には天文台や祭壇などがあり、 いかにもインテリジェントな民の遺跡といった趣があります。それに対して新しい時代の遺跡には勝者が生け贄となるゲームを する球技場や、祭壇の上にはチャックモールと呼ばれる生け贄の心臓を置く台があり、ピラミッドも威容を誇る高さに積み 上げられ、いかにも好戦的なトルテカの影響を受けた遺跡になっています。

 今回泊まったホテルのフロントに日本人の女性が働いていて、彼女は休暇の時には遺跡を回っていると聞いて、私ももっと 他の遺跡を探訪してみたくなりました。しかし、前大統領時代のメキシコ政府の情報統制であまり外国には知られていませんが、 実は地方では少数民族による暴動やテロが多発していてとても治安が悪く、有名なロケットの操縦席のような絵が描かれている 石棺の蓋が発見されたパレンケの遺跡があるチアパス州あたりは、先住民族による反政府運動が活発で特に危険だという話を 聞いた事があります。暫く情報収集に努めチャンスがあればまた地の利を生かして遺跡巡りが出来たらと思っています。

(写真は旧チチェンにある有名なマヤの天文台跡)


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