音楽の都
平成20年2月5日

 朝4時にイタリアのUdineを出発アルプスの峠前後は雪が降っていて時速80キロ出すのが精一杯だった。峠を越えて直ぐのガソリンスタンド で給油と休憩。売店で地図と高速道路のチケットを買った。オーストリアの高速道路には料金所が無い。ドライバーはシールのような チケットを買いフロントガラスの外から見えるところに貼っておく。峠を過ぎて直ぐの町フィラッハを通過する時はまだ真っ暗で 雪も降っていた。予定では昨晩ここまで来るつもりだったが諦めて正解だった。

 フィラッハを過ぎて暫くすると雪がやみ、グラーツの町の辺りで夜が明けてきた。オーストリアの高速道路はイタリアに比べると 舗装の状態も良く道幅も広めでスピードを出しやすかった。明け方の田舎で交通量も少なかったので時速130キロ制限のところを 時速200キロくらいで走った。ウィーンに近づき8時頃になると通勤のせいか交通量が多くなったので流れに合わせて走っていた時、 ふとバックミラーを見ると青いパトランプを回した車が張り付いていた。スピードを下げるとその車は横に並んだ。窓の中をみると 先端のSTOPという輪の中に赤いストップランプを付けた棒をこちらに向けてランプを点灯させていた。その車は私の前に回り 後ろの窓に「FOLLOW ME」という電光掲示板をつけて次のサービスエリアに誘導された。車から普通の私服を着た白人の男が二人 降りてきた。窓を開けると一人が「オーストリアのパスポートコントロールだ」とバッジを見せた。答えに窮していると今度は 腰に下げているピストルを見せて「本物だ」と言っている様だった。はじめドイツ語で捲くし立てて来たので英語で話してくれ というと「パスポートと免許を見せろ」との事だった。家族4人全てのパスポートと免許を渡すと全員の顔写真を確認して返して くれた。そして挨拶の言葉を残して直ぐに去ってしまった。私はてっきりスピード違反で捕まったか思い、罰金は幾らだろうか? どうせもう来ないだろうから払わずに踏み倒そうか、などとその後の展開を考えていたが事なきを得てほっとした。

 20年前にドイツとオーストリアの田舎の国境を越えたとき、道路には遮断機があってパスポートを見せないと通れなかった。 フランスやイタリア、スイスの高速道路では料金所のようなところで一々パスポートを見せなければいけなかった。しかし、今は EU加盟国の間では以前のような国境が無い。今回の行程でEUの中でパスポートを見せたのはこの時とイギリスへ行く列車に乗る前 だけだった。おそらく私の車はイタリアナンバーだったので止められたのだと思うが、もし彼らに出会わなければ止められる事も 無かっただろう。イギリスへ行く時は普通の入国審査があり別の国へ行くという感じがしたが、それ以外の国では国境を越えたと いう意識がまるでなく、一つの国の中を旅しているようだった。20年前の旅で初めて国境を体験した時、領土だとか国家だとかを 初めて意識した。日本は海に囲まれていて他の国と接していないので、地続きで他国と接している国々のような緊張感が無いのだ、 日本人はもっと海外の状況を知るべきだと思ったのだが、今のEUでは私が緊張の象徴のように感じた国境が取り払われていた。 これはとても大きな進歩だと思う。

 午前10時頃にウィーンに到着。マリーアントワネットが育った世界遺産のシェーンブルン宮殿やベートーベンの家、モーツアルト が住んだ家などを見て夜はウィーン楽友協会のホールで音楽鑑賞。本場の豪華で伝統的なホールで行われるコンサートは雰囲気だけ でも楽しめる。その後はチョコレートケーキで有名なホテルザッハーのカフェでお決まりのザッハトルテを食べた。

 パリにしてもロンドンにしても、ヨーロッパの都市には何百年も前に建てられた古い石造りの町並みが残っている。写真はウィーン の中心部の繁華街。こういう景色を見ていると日本の都市にも歴史を感じる事の出来る町並みを再現できないものかと思う。京都は それに近いかもしれない。東京や大阪にも江戸時代の街並みを再現したエリアを作ってみてはどうだろうか。


[Home]