サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジ遊覧飛行の旅
11月4日(2日目)
第3レッグ
<サンノゼ国際空港 → ハーフムーンベイ>
<思い出の町>
サンノゼジェットセンターの入り口。
サンノゼ国際空港
(SJC)出発
家族がサンノゼ時代の友人達と旧交を暖めている間にサンフランシスコ上空遊覧飛行をするべく、 私は家族を友人宅に預けるとその足でSJCに向かいました。余り時間が無かったので直ぐに飛立ちたかったのに こういう時に限ってガスがまだ入っておらず、カウンターのお姉さんが慌てて係りを呼んで給油させていました。
サンノゼジェットセンターはシリコンバレーのCEO達が使う空港で、エプロンには自家用ジェットが所狭しと 並んでいました。日曜日に仕事で使うのか遊びで使うのか知りませんが、出発するプライベートジェットの パイロットや機内食を運び込むクルー達が一度に何人もおしかけ、たまたま一人しか居なかったFBOのカウンターの係りはパニック状態 になり、結局私のチェックアウトは最後に回され1時間半くらい待たされてしまいました。
とてっもラグジュアリーな雰囲気のSJCジェットセンター。いかにもエグセクティヴの為のFBO。旅客ターミナルで借りたレンタカーもここで返せる。
ブリーフィングルームは世界各国への出発にも対応している。左側のテーブルにあるのはIFRチャート。
ブリーフィングルームの奥にはビリヤードの台がある。CEOを待つパイロット達がここで待ち時間を潰すのだろうか?
ホールの壁に貼ってあった衛星から撮ったと思われる空港の写真。
エグゼクティヴ達の出発を待つプライベートジェット。
ガソリンも入れてもらえずに隅っこに置かれた今回の愛機Warrior。
ただ今プリフライト中。
クリアランスはもらったか?
漸く出発の準備が整った頃にはもうお昼を過ぎていました。私はプリフライトを済ませると飛行機に乗りこみ エンジンをかけ無線にスイッチを入れチャンネルをグランドに合わせようとしながら、SJCがクラスCである 事に気がつきフライトガイドを開いてクリアランスデリバリーの周波数を調べました。考えて見たらクラスC の空港から離陸するのは初めてで、クリアランスをもらうのはラスベガス以来でした。私は早速クリアランス デリバリーにコンタクトしてハーフムーンベイまでVFR飛行の意思を告げました。
と、ここまでは良かったのですが何を思ったかしばらくして無線をグランドに切り替えて今度はタクシー のリクエストをしていました。するとグランドから「クリアランスはもらったのか?」と聞かれ「もらった」 と適当に返事したら「本当にもらったのか?」と聞き返され自信が無くなり「もういちどクリアランス デリバリーにコンタクトした方が良いか?」と聞き返したら。「もう良い」といってグランドがクリアランス をくれました。クラスBのラスベガスでは緊張して本を読みながら真面目に交信しましたが、クラスCでは ちょっと気が緩んでいた様で、トンチンカンな事をしてしまいました。
自家用ジェット機と管制塔。クリアランスもらえて良かった...
シリコンバレーの中心地サンタクララ。Fwy101の向こうにコンベンションセンターが見える。
スペースシャトル・チャレンジャーの爆発で亡くなった日系人宇宙飛行士オニズカ氏の名前を持つ空軍基地の空港、モフェットフィールド。
上空から見たサンノゼのダウンタウン。
思い出の町
離陸するとすぐ目の前にシリコンバレーの景色が広がりました。アップウィンドを 上るにつれて段々と遠くまで見渡せるようになり、私はサンノゼの景色にしばし感動していました。車で走った 事しかなかったこの土地を空から眺めると道路が地図と同じ模様を地面に描いていました。当たり前 の事なのですが、それをこの目で見ることが出来るなんて夢にも思っていませんでした。3年間このフリー ウェイを走り回ったサンノゼ勤務時代の思い出が一瞬の間に走馬灯の様に頭の中を駆け巡り、目頭が熱く なるのを押さえられませんでした。
出張の時は朝6時半の飛行機に乗るために5時に目覚ましをセット、しかし前夜の深酒で寝坊して目が 覚めたらすでに6時、慌てて服を着ながら真っ暗な高速を車でぶっ飛ばし、定刻5分前くらいに空港の パーキングに着きターミナル目指してダッシュ、閉まりかけたゲートのドアをすり抜けてリノエアの MD80に乗りこみ離陸前に眠り込んで着陸のショックで目を覚ます。そんな生活をしていた街サンノゼ。 そのサンノゼ国際空港から今日は自分の操縦で飛立つ。これは初めてモンゴメリーフィールドをこの手で 離陸した時よりも大きな感動でした。
ハーフムーンベイより南側に続く海岸線。
綺麗な弧を描くハーフムーンベイのビーチ。
Runway30が丁度ま正面に見える。
上空から見たHAF。
Runway30 HAF アプローチ。
ハーフムーンベイ
(HAF)到着
コントローラーに言われるがままに進路を取り、レジュームナビゲーションと言われた 頃には山に差し掛かっていました。山の上に来ると太平洋側が見え、目的地のハーフムーンベイは直ぐそこでした。 サンノゼから車で1時間近くかけて行ったハーフムーンベイも30分もかからずに到着です。出発前に 心配していた雲も沖合いの方にしかなく、フライトフォロイングもターミネートされ、いらっしゃいと 言わんばかりに目の前に真っ直ぐ敷かれたHAFの滑走路。私は迷わずストレートインのコースに乗りました。
空港が次第に近づき、そろそろ無線で交信する頃になり、「さぁ何て言おうかな、クラスGだから、ハーフムーントラフィック・・・」 とセリフを考えながら「・・・ストレートイン、ランウェイ・・・、えっストレートイン?」と、やっと自分が初歩的な間違いを犯していることに気づきました。 そうなんです、管制塔の無いクラスGの空港では滑走路に直接真っ直ぐに進入してはならず、一度トラフィックパターンに乗って回り込むように 着陸しなければいけなかったのです。私はすぐにレフトダウンウィンドに45°で進入すべく沖合いに進路を変え、無事ルールに沿って着陸することが出来ました(この時はそのつもりでした)。
第4レッグ
<ハーフムーンベイ → サンノゼ国際空港>
サンフランシスコ遊覧飛行
FBO入り口
ハーフムーンベイ
(HAF)出発
食事をする時間は無いけれど、せっかく来たのだからせめてFBOがどんな所かだけでも見ていこうと思い、私は飛行機を降りてFBOに向かいました。 FBOはレストランと兼用で、低いフェンスと建物の間のテラスにはパラソルつきのテーブルが幾つか置いてあます。エプロンに飛行機が一機も停まっていなかったにもかかわらず、 沢山の人たちが暖かい日差しの中でランチを食べていました。
本当はここで昼飯にタコスでも食べて行きたいところだったのですが、サンノゼの出発が思いのほか遅れあまり時間が無かったので、一休みして写真を取り終えると私は早々に飛行機へ戻り出発することにしました。
エプロンから見たFBO
FBOの半分を占めるメキシカンフードのレストラン。店内は陽が射し込み、メキシカンらしくとても明るい雰囲気でした。。
1ガロン$2.77...ちょっと高いかな?
すぐ沖合いに出てきたマリンレイヤー。
ゴールデンゲートブリッジ
VFRが解禁になったとはいえ、アメリカの空はまだまだ厳戒態勢で、この日は折りしもアルカイダがゴールデンゲートブリッジを爆破する計画があったとFBIが発表した翌日か翌々日でした。でも、ここまで来て帰るわけにも行かず、と言うか 最初から行くつもりだったのですが、ゴールデンゲートブリッジを空から見るべく海岸線を北上しました。
程なく右手に世界一大きい人工の都市型公園でもあるゴールデンゲートパークが見え、直ぐにゴールデンゲートブリッジが見えてきました。橋の近辺は制限空域では有りませんでしたが、爆破予告がされていたので不審者と思われて F16がスクランブルしてくるかも知れないと思うと、怖くてあまり近くに寄れなかったのがちょっと残念でした。
あのNYのセントラルパークよりも大きい
世界一の公園、ゴールデンゲートパーク。
SF名物の霧に煙るゴールデンゲートブリッジ。
北側から見たところ。
同じく北からちょっと違うアングル。右下
手前にサウサリートの町が見える。
サンフランシスコ・ベイ側から見た逆光のGGB。
真横に近いアングル
ゴールデンゲートブリッジ越しに見たサンフランシスコのダウンタウン。
思い出のサンフランシスコ・・・
私が小学生の頃は海外旅行といえばアメリカ、アメリカといえばサンフランシスコだった。と言うより私は他に海外旅行の知識が全く無かった。行けもしないのにデパートのJTBのカウンター横に置いてあったパッケージツアーのパンフレットを もらって家に帰り、海に浮かぶアルカトラズ島をバックに坂道を登るケーブルカーやきれいな花でいっぱいのロンバードストリートの写真を見てはアメリカを旅する空想に耽っていたものです。
月日は流れ私も社会人となり数年後、初めての海外出張の途中サンフランシスコに立ち寄る事となりました。先輩と二人で集団行動を抜け出して作ったほんの僅かな自由時間を利用して、子供の頃夢に見た町を自分の足で歩きました。 その時はきっと一生のうち二度とここに来る事は無いだろうと思っていたので、可能な限り多くの場所を回ろうと本当に文字通り駆け巡りました。まさかそのサンフランシスコの町をこうして自分の操縦する飛行機で上空から眺められるようになるとは・・・
太平洋側から見たアルカトラズ島。
サンフランシスコ名物の霧に煙るダウンタウン。
北側から見たサンフランシスコのダウンタウン。
サンノゼ国際空港へ無事帰還。
サンノゼ国際空港
(SJC)到着
サンフランシスコを後にしてオークランド、バークレー上空を順調に通過。しかしヘイワードの辺りから、リバムアの原子力発電所を中心に半径10NM以内が特別飛行禁止空域に指定されていたので、それに近づかず且つ サンフランシスコ・クラスBエアスペースの中に入り込まないよう飛ばねばならず、チャートとVORと景色を見比べ常に自分の位置を確認しながら忙しくなりました。
そしてSJCアプローチにコンタクト。空港の東側を飛んでいたのですが軽飛行機用の滑走路は旅客機用の滑走路を挟んで反対側の西側です。どうやって誘導されるのかなと思っていたら「Heading XXX」と指示され、 リードバックしながらその方向を見るとそこには空港がありました。あわててコントローラーに聞き返すと「滑走路の真上を通過してRwy29のダウンウィンドに入れ」と次の指示が出て納得。私は旅客機が離発着するSJCを真上から 悠々と眺めながらトラフィックパターンに入りそして無事着陸。そして家族が待つ友人宅へ急ぎました。
第5レッグ
<サンノゼ国際空港 → ベイカーズフィールド>
緊急着陸
夕暮れ迫るサンノゼ国際空港。
サンノゼ国際空港
(SJC)出発
明るいうちにSJCを出発するつもりだったのが、親子共々久しぶりに会った友人と別れるのが辛くて名残惜しんでいるうちに時間が過ぎてしまい、サンディエゴに向けてSJCを離陸したときには既に日が暮れていました。 しかし来る時も夜でしたし、この辺は土地勘があるのでさほど不安は有りませんでした。
ただ少し気になったのは、出掛けに中継点のベイカーズフィールドの天気を調べたらあまり思わしくなかったことでした。それでも最悪往路と同じランカスターまで行けば良いだろうと取り敢えず出発しました。
今回はクリアランスももらい、管制官を困らせる事無く滑走路までたどり着きました。ただ夕暮れ時で皆が帰って来る時間だったのか、着陸してくる飛行機があまりに多くて、ランナップエリアで結構長い間またされました。 それでも離陸してSJCディパーチャーからハンドオフされるまで一度も管制塔の指示を間違えずに無事SJCクラスCエアスペースを出ることが出来ました(本当はそれが当たり前なんですけどね)。所が離陸して直ぐ乗客の一人が トイレに行きたいと」言い出した。しかし、クラスCのサンノゼにトイレのためだけに降りるのも面倒だったし、最悪途中どこかに降りれるだろうと言うことで次の休憩まで待ってもらうことにしました。
次々と着陸してくる飛行機たち。
離陸する飛行機から見た旅客ターミナルA。
ターミナルAは主にアメリカンとサウスウェストが使っている。
注射器のような形に見えるBFLの滑走路のランプ。
あんなにはっきり見えているのに・・・
離陸して30分もしないうちにすっかり夜になり、ほんのりもやのかかった平野の上をひたすら南に向かって飛び続けました。アメリカ西海岸を南北に縦貫している高速道路インターステート5を走る車のヘッドライトとテールランプが 蟻の行列のように続いているのを斜めに横切り、しばらくすると正面遠くにぼんやりと少し霧に煙ったベイカーズフィールドの町の明かりが見えてきました。
VFRフライトフォロウィングもそろそろBFLアプローチにハンドオフかなと思っていたら、コントローラーから「BFLはIFRコンディションだ、行き先を変えるか?」と言われました。確かに少し霧っぽくはありますが、視界はそれほど悪くなく、 無理なく着陸できそうなのですが、BFLのATISをモニターしてみたら確かにvisiblity 1.5との事でした。仕方なく行き先を往路と同じランカスターに変えてもらい、BFLを通過することにしました。
すると乗客から「次の空港まであとどの位?」との声が。「あと30分」と答えると「さっきも30分だったじゃない、いったいいつのいなったら着くのか?」と殺気立った言葉が返ってきました。そして眼下に見えるBFLの滑走路のランプ を指差し、「あそこに降りる予定だったのが、天候が悪くて降りれないんだ」と言うと、「どうして?ここからでもあんなにはっきり見えているのに!?」とうらめしそうにぼやいていました。
写真でも分かるように確かに結構遠くからでも滑走路がよく見えるのにちょっとおかしいと思い、BFLアプローチになんとか着陸できないかお願いしてみました。しかし、やはりVFRには視界が不十分との事でWJFまで行くよう 勧められました。なんとも腑に落ちない気持ちで7,500ftの上空を通過しているとその時BFLアプローチから「何か乗客かパイロットに緊急事態があるのか?」と聞いてきました。私はすかさず「Yes!」と答え「実は一人トイレに 行きたいんだ」と言うと。ちょと苦笑いしたような感じで「今、ATISをvisiblity4に変えたから着陸していいよ、そこから滑走路が見えるか?デッカイ方だぞ」との言葉が返ってきた。私は「さっきからよーく見えてるよ!」 といいながら180度反転してBFLへと一気に降下して行きました。機内では「言ってみるもんだねー」と喜びの声があがり、それまでの重苦しい雰囲気が一転明るくなりました。
沢山ランプの光る滑走路への着陸はまるでビデオゲームの様。
給油中。
既に閉まっていたがトイレのために開けてもらったFBO。
ベイカーズフィールド
(BFL)到着
7,500ftからトイレ目指して一気に急降下してBFLのRwy30Rに着陸。直ぐにFBOの前まで行ったがなんと既にクローズ。すると向こうから燃料を積んだトラックが給油に来てくれました。私は係りのお兄さんにトイレは無いか?と 聞くと閉まっていたFBOを開けてくれました。管制塔しにしろこの人にしろなんていい人たちなんだとちょっと感動しました。
第6レッグ
<ベイカーズフィールド → モンゴメリーフィールド>
恐怖のサンダーストーム
雲の上にぽっかり浮かぶおぼろ月夜
ベイカーズフィールド
(SJC)出発
ぐずぐずしていて天気が変わって離陸できなくなってはいけないと、私たちは給油とトイレを済ませると早々に出発しました。上空からの景色はとてもクリアでしたが、確かに地上から低い角度で空を見ると靄がかかっていて、 VFRにはちょっと危険かなという感じでした。しかし時間も遅く、私たちが射る間一機着陸してきただけで通過する飛行機すらいない程トラフィックも少なかったので、管制塔も私たちのちょっと無理なお願いを聞いてくれたのでしょう。 準備が整うと私たちは靄のかかったベイカーズフィールドの空へ離陸しました。視界は良くなかったですが、上空はクリアな事が分かっていたので私は何の躊躇も無く離陸することができました。
月夜の空の下に広がる靄に煙った夜景。オンタリオ周辺上空。
離陸して直ぐに目の前の7,000ft級の山を越えるとモハヴェ砂漠が広がっており、遠く雲の上に月が顔を出したり隠れたりしていました。BFLのアプローチからそのままVFRフライトフォロウィングを続けていたら、 パームデール辺りでジョシュアアプローチからいきなりとんでもない方向に行けと言われ、何かと思い外を見ると旅客機が私のルート上を横切っていきました。その航跡を東にたどっていくと2〜3機あとから続いていました。 交信を聞いていたらバーバンクへ向かっている便のようでした。
もう一つ山脈を越えるとLAの平野です。今度はLAXに着陸する飛行機のランディングライトが東の空へ列を成しており、そのパスを回避するために9,500ftで飛んでいた私は7,500ftまで高度を下げさせられました。 ここをと通るときはいつもこうなのですが、頭上を大型旅客機が通り過ぎていくのを眺めていると、飛行機好きにはとてもエキサイティングな光景ですが、たまに「ぶつかるんじゃないか」とちょっと怖くなる時もあります。
空中を走るイナズマ。これが目の前のあちこちで発生しだした。
前方に雷がっ!!!
LAXへ行く飛行機たちを潜り抜けるとLAセンターの管制官が「海側か山側かどっちのルートを取るか?」と聞いてきました。私は最初からリバーサイド、テメキュラ、そしてエスコンディドを抜ける山側ルートで帰るつもりだったのでその旨告げると、 「それが賢明だ。オレンジカウンティーから南の海岸沿いは激しいサンダーストームに見舞われているので通ら無い方が良い。」との事。実はそのイナズマは様子は右前方の山の向こうの遠くに見えていました。 しかし私は自分のコースには関係無いと思い、何も考えずにそのまま飛び続けました。
ところが、しばらくしてサンディエゴまであと50NMくらいのテメキュラの手前あたりに差し掛かったところで、LAセンターの管制官から「目的地のモンゴメリーフィールドはサンダーストームで着陸不可能、SDM、CRQ、SEE等、 周辺の他の空港も全て同じ状況。F70(フレンチバレー)が大丈夫かどうか今調べてみるが燃料は大丈夫か?」との連絡が入りました。なんとなく予想はしていましたが、何処の空港も全てだめと聞いたとき、「燃料が無くなったらどうしよう?」 と初めてガス欠の恐怖を感じました。ゲージはまだ半分くらいを指していましたが、この状況で半分というのはとても心細かったです。そして様々な検討の末、結局もう少し様子を見てだめそうだったら引き返してF70に着陸しようという事になりました。
音は聞こえなくても迫力は満点。右下に見えるのがエスコンディドの街の灯
エスコンディド上空手前辺りからサンディエゴ方面に雷が落ちているのが見え出しました。写真のようなイナズマが30秒から一分間隔くらいで閃いているのです
(動画はこちら)
。 とても大きな雷でしたが、距離が有った為か、何故か「この飛行機に雷が落ちたらどうしよう?」という不安は全く感じませんでした。それよりもただひたすら「何処にも降りれなくなったらどうしよう...」と、そればかり心配してました。
しばらくすると不安のためか自分の現在地の認識が信じられなくなり、進行方向を間違えてしまうミスを犯してしまいました。自分では平常心のつもりでも、心は大きく動揺していた様で、VORを何度確かめても自分の進行方向が 正しいのかどうか確信が持てないのです。ふと下界を見渡すと真っ暗で、見えるはずの高速道路や町の灯りが何処にも見えなくなっていました。私はVORの一つをTo MZBに合わせてMZBへ一直線に飛ぶことにしました。 すると自分の進行方向が東側へかなりずれていた事が分かりました。7,500ftで飛んでいたのでもし気づくのが遅れたら下手をすればどこかの山にぶつかっていたかも知れ無かったのです。
嵐の後のMYFへナイトランディング。窓の右側中央に滑走路のランプが見える。
モンゴメリーフィールド
(MYF)到着
自分の現在地と進行方向が明確になり、改めて雷を見てみました。そして落ちている位置を推測してみたのですが、結構遠くおそらく国境よりメキシコ側の地点のように見えました。するとSoCALアプローチから連絡が入り、 「MYFのサンダーストームは無くなった。しかし視界3マイルでまだIFRコンディションだが、ILSは使えるか?」と聞かれ、正直に「IFRレーティングは持っていないがILSの使い方は知っている。」と答えた。そして 「天気は良くなる傾向なので、取り敢えずMYFまで行ってみよう」という事になりました。
程なく「空港が見えるか?」と聞かれ辺りを見回すと、なんと直ぐ目の前に見えていました。「よく見えている」と告げ、あとはVFRという事になり、トランスポンダーを1200に直して着陸態勢に入りました。 視界はかなり良くなっており、着陸時には写真のようにほとんど問題がありませんでした。しかも到着が夜遅かったので既に管制塔は閉まっており、管制官から着陸を拒否されるのではないかという心配もせずに 気楽に降りることが出来ました。今回のフライトでは最後の最後でとんでもないハプニングに見舞われ、これまでで最悪の結末を迎えるのかなと諦めかけましたが、なんとか無事モンゴメリーフィールドに帰還することが出来ました。
[Home]
[Menu]
[Top]
[11/03]
[11/04]
[Epilogue]