私が初めてアメリカのジェネラルアビエーションに出会ったのは会社の出張でテキサス州のダラスへ行った時の事でした。自由時間にふとしたきっかけでセスナをチャーターする事になり、
遊覧飛行だけのつもりが気がつけば操縦桿を握って自分の手で飛行機を操縦していました。もちろんインストラクターに教わりながらですが、全く知識もなく心の準備すら出来ていなかった通りすがりの旅行者だった私に、
いとも簡単に飛行機の操縦が出来てしまったのです。それまで飛行機の操縦というのは手の届かない遠い世界の事だったのに、アメリカではとても身近な直ぐに手の届く所にあるという事を知りました。
数年後、私はアメリカのカリフォルニア州に企業の駐在員として赴任する事になりました。赴任当初は家族を連れての異国での生活に慣れるだけでも大変で、仕事も忙しくとても飛行機に乗るなど思いもつきませんでしたが、
サンディエゴへの異動が私の転機となりました。会社の事務所は空港の敷地に隣接しており、空港まで車で5分とかからない所でした。外へ出るとひっきりなしに軽飛行機が頭上を飛び交う、そんな環境にいた私は
自然と空港に引き寄せられて行きました。そしてFBOを見つけそこでインストラクターと出会い、パイロットへの道が始まったのです。そして半年かけてプライベートパイロットの免許を取りました。
最初は訓練で飛ぶだけで幸せでした。免許を取ってからは自由に空を飛べることに再び感動しました。そして操縦に慣れて来ると家族を乗せて遠出をする様になり、グランドキャニオン、イエローストーンなど、
有名な国立公園などを飛行機で巡りました。そして遂に西海岸の最南端サンディエゴから東海岸の北に位置するニューヨークまで、大陸横断飛行を完遂しました。それでも飽き足らず、今度は国境を越えて
メキシコのバハカリフォルニアへも飛ぶようになり、アメリカにもダートストリップなど未開の地が有る事を知り、米国在住という地の利を活かし、軽飛行機でなければ楽しめない様々な事に挑戦しました。
遠出をするようになると天候により予定が大きく左右されるのがいやになり、必要に迫られて計器飛行の免許を取得。長距離フライトを重ねているうちに、いつの間にか事業用免許の
受験資格を満たしていたので、取れるものは取っておこうとついでに取得。そしてせっかく勉強した知識が時間と共に消えていくのは惜しいので、せめて勉強した証を形に残そうとAGI及びIGIのグランド・インストラクターの免許も取得。気がつけば次はフライトインストラクター
に手が届く所まで来ていました。そしてとあるパイロットスクールの門を叩き、右席でフライトインストラクションをする訓練は勿論、レッスンプランを作成してホワイトボードを使いCFIを相手に先生役になって実際に授業を行う
訓練もしました。しかし、残念ながら目標を達成できないまま日本へ帰国となりました。普通はCFIの前に双発機の免許を取るのですが、単発機に比べて費用が倍掛かる双発機は経済的に厳しく手が出ませんでした。
休みのたびに軽飛行機でしか行けない様な珍しく素晴らしい所を探しては飛んでいると、次第に自分の家族だけでなく多くの人々とその感動を分かち合いたいと考えるようになりました。
アメリカではジェネラルアビエーション用の雑誌が数多く出版されており、中にはそんなスポットを紹介する物もあります。近所の本屋へ行ってそんな雑誌を見れば誰でも手軽にアメリカの大自然とジェネラルアビエーション
を楽しむことが出来るのです。しかしある日のこと、日本に帰った時に東京の大きな本屋の航空関係のコーナーへ行って見ました。沢山の航空関係の雑誌や書籍が置いてありましたが、半分はエアライン関係で、もう半分はミリタリー関係でした。
日本でも某出版社がジェネラルアビエーション関係の雑誌を出している事は知っていたのですが、そこにはありませんでした。結局その本屋ではジェネラルアビエーションの本を見つけることは出来ませんでした。
アメリカのパイロットスクールには日本からエアラインパイロットを目指す若者が次から次へとやって来る所もあり、また、最近では日本の普通のサラリーマンでも連休にグアムやハワイなどで気軽にフライトを楽しむ方もいらっしゃいます。
アメリカのジェネラルアビエーションを体験している日本人は結構いるようですが、余暇の過ごし方としてははまだまだ広く一般に浸透しているとはいえません。そこでジェネラルアビエーションライフを一人でも多くの日本の方に知って頂こうと思いこのウェブサイトを作りました。
2003年9月1日
アイク・アビエーション
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